菅官房長官周辺の議員とは①。。。

 現在の政治の中心地にいるのは、衆議院の当選回数8回、7回の議員たちである。その出世の筆頭株は、いわずも知れた、菅官房長官である。

 この当選回数7~8回の議員とうのは、既にお忘れになっている方々が多いかもしれかせんが、衆議院小選挙区が導入された時の、初当選議員が多いのです。

 2大政党制を実現するべく、導入された小選挙区制ですが、かつての中選挙区制と異なり、一国一城の主であり、自民党の場合は、2回連続落選、死去、勇退などを除けば、当選回数を重ねるごとに、その選挙地盤を強固にしていくことが可能で、与党系の衆議院議員の交代とうものが起こりにくい、選挙システムとなっています。

 数年前から、内閣改造が起こるたびに、当選適齢回数の衆議院議員の入閣が取りざたされますが、これは、この自民党を中心とした、与党系の議員の交代が起こりずらいという、仕組みからこうなってしまっています。

 最近、政界のスキャンダルの中心となっている、河井前法務大臣ですが、彼は、当選時は、平成研究会竹下派経世会)所属で、当選同期には、平成研究会に菅官房長官がおり、また、同じ派閥で、同じ釜の飯を食った仲でした。

 当時は、元衆議院議長であった、綿貫民輔議員の薫陶を受けながら、その政治手法を学び、政治のイロハを享受してきた仲でもありました。当時、派閥の中では、一成会という、小選挙区初当選議員で結成された50人超にも及ぶ、会も結成されていました。この会は、週に一回、会合を開くのですが、綿貫議員から、派閥の意向を伝えられる場であったと記憶しています。

 安倍内閣で、首相補佐官を務めた河井議員が、初当選時から、入魂の中であった菅官房長官と、ズブズブの中で、その妻である、杏里参議院議員が立候補するにあたって、1億5,000万円の選挙資金を支援されたといのは、何ら不思議な、話ではありません。

 この同期には、下村博文元文部大臣、棚橋泰文特命担当大臣(父は、通産事務次官の棚橋佑治氏:次官の後、石油公団総裁)故望月義夫環境大臣平沢勝栄議員など、著名な議員を輩出している訳ですが、それなりに、人材に恵まれたともいえるとも言えます。棚橋議員は、初当選した後は、司法試験合格という、自頭の良さ、父親からの血統の良さから、将来の首相候補との言われたほどでした。