激務 元 国会議員秘書が解説する 国会議員秘書はどうやったらなれるの?①

 

 国会議員秘書ってどうやったらなれるの?って思った方って結構な数でいらっしゃるのではないでしょうか?

 私は、約7年間、大臣経験のある自由民主党の某衆議院議員の秘書をしていました。実態を一言で言うと、実は、激務でしたね。もうやりたくありません。理由は、余りにハード過ぎて、体を壊してしまうからです。休みは、完全週休一日、祝日も仕事でした。

 私の場合は、永田町がメインの勤務地だったのですが、唯一、日曜日だけだ休みでした。GW,お盆、年末年始は、ほとんど関係ありませんでした。ということは、年間の休みが、50日程度だったということになります。

 その理由は、選挙区が、関東エリアだったということで、土曜日、祝日は、選挙区事務所での勤務だったんですよね。

 選挙区が、永田町から近い秘書の場合、そういう運命となることが多かったのではなでしょうか?

 さて、本題にもどります。議員秘書なる方法としては、様々ありますが、大きく分けると5つに分類されるのではないでしょうか。

 1.各種求人媒体での公募

 2.後援者からの紹介

 4.親類縁者からの採用

 4.政策担当秘書資格を保有する人の名簿から公募

 5.派閥からの斡旋

 

 かく言う、私の最初の社会人生活は、自民党国会議員秘書としてスタートいたしました。私の場合は、1の各種求人媒体経由で採用されるにいたりましたが、正直、採用された当時は、「これは、採用されるハードルは相当高いだろうな~」と考えていました。

 採用された後に聞いた話ですが、私が応募した時の採用人数は1人で、実際に30人近くの応募があったとのことでした。まず、採用されるには、募集をしている議員のニーズを満たす条件でなければならない訳ですが、私の場合は、当時は23歳と若く、安い給与でも働くことができたというのが大きかったと思います。

 そうです。若くて、給与が安いというファクターは、秘書として採用される際に、重要な要素といえるのです。国会議員の事務所(議員本人)は、お金持ちの会社を経営しているなどの、資金的なバックボーンがない限り、お金がない議員が大多数です。会社の経営でも同じですが、事務所の経営という観点から見れば、一番お金がかかるのは、人件費になります。

 私の初任給を明かせば、16万円でした。この金額は、手取りではありません。額面で16万円です。大卒の初任給としては、他の業界と比べても極端に安いのではないでしょうか。ほかに、賞与は夏冬に10万円づつ頂いた記憶があります。この賞与は、議員次第で、全く無い事務所もあるのではないでしょうか。

 なんと年収が212万円というワーキングプア状態なのです。仕事柄、直行直帰も多く、タイムカードもありませんでしたので(無いのが普通です)、残業という概念もなく、残業代というものをもらったことは当然ありません。

 昇給するまでの、最初の1年は、金銭的には苦しかったとう記憶があります。次の年は給与が18万円にまで上がり、また次の年は20万円となりようやく生活が楽になっていきました。(額面給与です笑)

 この給与水準は、私設秘書の場合なのですが、公設秘書は、特別職国家公務員なので、国から給与が支給されるので、建前上もっと沢山もらっています。勤続年数にもよりますが、初年度で、政策担当秘書で850万円、第一公設秘書で800万円程度、第二秘書で600万円程度というのが一般的なところです。公務員なので、勤続年数が増えれば、年収は増えます。最高で、1500万円近くまで上がる計算だったと記憶しています。小泉元首相の政策担当秘書だった、飯島勲さんは、ロールスロイスを乗り回していたのは、永田町では有名な話でした。

 ここで建前上と書きましたが、おわかりの通り、私設秘書との給与レベルにかなり差がありますが、この差を埋めるために、公設秘書の給与が議員事務所に吸いあげられていることがあります。

 かなり昔になりますが、秘書給与詐取事件というものが騒がれた時がありましたが、公設秘書の給与を議員事務所が吸い上げるのが、秘書給与詐取にあたります。

 要は、稼ぎすぎる公設秘書と安すぎる私設秘書の給与差をなくすることが目的なのです。私設秘書からしてみれば、公設秘書と同じ仕事をしているのに、公設秘書という肩書だけで、3倍以上の給与をもらっているという事実を目の当たりにしたら、当然、面白くないですよね。

 という訳で、実際のところ、今もあると思いますが、事件になった当時は、永田町では一般的に行われているスキームでした。

 旧社民党(現立憲民主)の、辻本議員が、秘書給与搾取で、叩かれた時期がありましたが、永田町の論理では、至って当たり前のことだったのです。

 もっと有名な議員では、●妻あきら議員あたらりも、どうどうと、やっていましたね。なぜ、●妻あきら議員のことを知っているかと言えば、その政策担当秘書と私が、国会議員秘書になる前の、アルバイト先で、同僚だったからなのです。

 下記リンクは、小泉純一郎元総理の首相秘書官だった、飯島勲氏の著書になります。

 豪徳寺三生という名前は、彼のペンネームになります。この本は、生々しい国会議員秘書の仕事の実態が書かれていますので、これから、秘書を目指される方は、一読されることをお勧めします。読み物としては、大変面白く、超ベテラン秘書が書かれているかなりの名著なので、一気に読み通すことができますよ。非常におすすめの一冊です。

 この本を読まれてから、秘書を目指しても良いのか、ご検討ください。