元国会議員秘書が見た、昔と令和という現代 ~それは大化の改新から始まった~ そして今は令和

 時は遥かに遡って、645年の日本において、中大兄皇子中臣鎌足によって起こされた「大化の改新」によって、天皇を中心とする君主制政治が始まりました。

 この事件は、蘇我氏などの豪族を中心とした、その権力の正統性が不明確な者達による政治の終焉を意味し、律令制・公地制が施かれ、一応の国の対面を整えることが出来た時でもありました。

 そしてまた、意外にも知られていませんが、後の天智天皇である中大兄皇子により、日本初の元号である「大化」が施行された時でもありました。この「大化」ですが、その意味は「おおきく ばける」とも読めますが、その後の、日本の「おおきくばける(発展する)」ことを期待して(諸説あります)付けられた年号とも言えます。

 当時の中国では、唐が支配を行っており、日本とも貿易が盛んに行われていたのは、中学校の日本史で習うところですが、紀元前より、文化・歴史・文字・宗教・統治システムなど、当時の日本より、諸所は、遥かに進んだ国家であり、「元号」を使用していた中国を見習って、日本も「元号」を採用するに至ったとされています。当時の唐に対しての、完全に中国から独立した、正式な国家の始まりを、告げるものであったとも言われています。

 ところで、この「元号」ですが、現在、使用している国は、実は、わが国日本しか存在しません。かつては、中国はもちろんのこと、韓国、北朝鮮ベトナムなど、歴史的に、中国とつながりが深かった国家が採用していましたが、現在は、公式には使われていません。

 しかも、日本には、「皇紀」というものまで存在し、あの有名な「ゼロ戦」、正式名称は、「零式艦上戦闘機」は、皇紀2600年に、正式採用されたことから、2600年の「0(ゼロ)」そのネーミングで呼ばれることが多いです。

 ここで言いたかったのは、日本人という民族は、時間=年という概念に対して、長年の歴史を通して、本家の中国は元より、欧米に対しても独自の価値観を見出して、政治なり、生活に使っているという事なのではないかと言うことです。

 現在の「令和」は、今までの、中国の古典からその出自を求めてきた方法とは異なり、初めて、日本独自の出自である「万葉集」に求めた点が、従来と異なっており、過去の「元号」とは、意味が異なってくるものになっています。

 京都大学の、阿辻名誉教授は「世の中を平和にさせる、という穏やかな印象にあふれている。世界が調和され、平和が永遠に達成されるというメッセージが込められているのでは」と話した。

 とあるように、昔からの、中国からの依存から、脱却し、日本主導での、平和的な価値観を創造すると解釈されるものであり、現在の、中国の覇権から脱却したいとの願いも込められた「令和」の時代であるからこそ、行うことが出来る・求められる政治といううものが、あるのではないでしょうか。