元国会議員秘書が解説する、「なんで国会議員秘書になったの??」

 私が、何故、国会議員秘書になったのか??疑問を持たれる方は、非常に多いと思います。普通の人が国会議員の秘書になるパターンは、将来、議員になりたいなど、明確な理由があります。

 しかし、私は、決して、政治家志望でも、国会に興味があった訳ではありません、正直に言うと、就職活動をしていて、一番最初に内定を貰ったからというのが本当の所になります。

 私は、某国公立大学の法学部を卒業し、就職に失敗した私は、東京に上京し、アルバイトをしながら、就職活動をしていました。学生時代は、ゼミで憲法を専攻していた為、多少は、三権の関係や、行政の仕組み、司法の役割まどは、理解をしていました。裁判所の職員試験にも、合格をしたことがあるくらいなので、それなりの勉強は行っており、知識もありました。

 裁判所に合格したのなら、そっちに就職したらいいんじゃないの?と思われるかもしれませんが、この仕事は、頻繁に転勤があり、仕事内容は、裁判所類の作成や、被告への書類送付など、生産性のあるものではなく、超ド田舎に配属されると、同僚が2名のみといった所もあるので、自分の性格と適性を考えて辞退しました。

 そこで、民間企業を中心に探していたのですが、当時は、超氷河期と言われる就職難の時代で、大学の既卒は、今で言う、第二新卒という言葉もなく、単なる中途採用という区分でした。新卒の就職率が70%という、今では考えられない就職率で、新卒派遣という区分の仕事も存在していました。さすがに、今では、新卒派遣なんてありませんよね。

 フリーターという言葉が生まれたのも、この頃なのですが、それまでは、「フリーアルバイター」と呼ばれていましたね。

 この頃は、慶應や早稲田あたりの上位大学でも、就職に苦労したほどで、このクラスの大学でも、大学卒業後に、フリーターになった人も数多く存在していました。早稲田の第二文学部あたりは、かなり苦労したとの話を聞いたことがあります。

 受験できる仕事自体の数が物凄く少なかったので、受験できる仕事には、かたっぱしから応募を行っていた中に、「国会議員秘書」という仕事がありました。

 面接当日の朝に、いきなり電話が掛かってきて、今日の10時に面接に来てくれといわれましたね。その日、急遽アルバイトを休みにして、急いで議員会館に面接に行った記憶があります。

 いきなり、議員と筆頭秘書からの面接があり、「いつから仕事ができる?」即日の内定になったのですが、これには、こちらが驚きました。、身辺調査などするだろうと思っていたのですが、月給16万という条件を飲んだら、即採用となってしまいました。

 それまでの、就職活動が苦しすぎた為、即、OKを出してしまいました。今の様に、ネットを使った就職活動というのは、まだ、始まっておらず、全て、手書きの履歴書を送りつけるといったスタイルの就職活動でしたので、履歴書を書くだけでも、相当な労力が必要で、写真代も相当な金額になり、お金もかかる就職活動でしたね。

 私の場合は、プロの職業秘書という部類だったのですが、永田町に限って言えば、職業秘書で食べている人は、意外に多くいます。仕えている議員が落選すれば、また、別の議員に使えるという形で、仕事をしていますね。